劇場版メイドインアビス、深き魂の黎明を観てきました。
原作未読で映画も一回視聴のみで細かい台詞はうろ覚えですが、いくつか気になった点があったので、その考察と全体含めての感想を書いていきます。
がっつり映画のネタバレを含むので、未視聴の方は映画を見てから読んでもらいたいです。
キャストが挙げる見どころポイント
原作読んだけど映画はこれから観るって方や、もう一回映画を見直すって方に向けて主要キャストが挙げた映画の見どころポイントをおさらいしておきます!
・序盤の人の目から虫が出てくる描写が凄く気持ち悪い(富田美憂)
・物語終盤でレグが暴走してしまった時に、一瞬レグかな?というものが映る(伊瀬茉莉也)
・おいらの声届いてたんだのシーンの「んなぁ」が自分的にも上手に演じられた(井澤詩織)
個人的には伊瀬さんのコメントの部分は今後のストーリーの展開的にも影響を与えてきそうなので、要チェックのポイントだと思います。
深き魂の黎明の感想
相変わらずストーリーがエグかったですね。
観た後しばらくテンションがアビスの底に持って行かれました(笑
ホントこの作品はこの絵だから観れてるっていうのはありますよね。
序盤はこれから起こることにドキドキ、そして変な魚みたいな生き物食べるときのリアクションに可愛さを覚える。
からの、割と早めのボンドルドとの邂逅。
予想を裏切らないゲス外道っぷりを見せるボン様。
ちりばめられる伏線や戦闘シーンに釘付けでした。
研究のためにはどんなに残酷なことでもする、ろくでもない男ボンドルド。
後述しますが、テレビ版で観ていた時とボンドルドの印象が少し変わったかなと思います。
次回作品が待ち遠しくなる展開でした!
深き魂の黎明を観ての考察
映画だけでは回収されていない伏線や謎が多々ありました。
特に気になったものにスポットを当てて考察していきますよー。
ゾアホリックの使用方法、それで結局壊されたの?
まずゾアホリックの使い方の考察。
プルシュカについて説明するときにボンドルドが「血は薄いけど繋がっている」的な発言をしていました。
プルシュカ自身は祈手の子。祈手の子なのに血が繋がっているとなると、ゾアホリックで精神共有するためには、自分の血を対象となる者に送り込む?ことで共有できるのかな?
ただこれだと、ゾアホリックが見つかった時の「小動物が被捕食者である小バエを操っていた」という状況の説明が難しいか。
また破壊したか否かですが、これは確実に破壊してないですね。
映画でも最後に新しいボンドルドになっていましたしね。
ただ何故壊さなかったのかというと、少し疑問が残るところです。
リコがボンドルドのロマンを少なからず理解したから、戦闘用の祈手がいなくなり脅威が減少したからというのも説明の1つかもしれませんが、個人的にはストーリー的にまだ必要だからかなと考えました。。
ボンドルドがナナチの行動を読める理由
映画の中でもナナチが「ボンドルドがナナチの眼に細工したと思われる」発言をしていました。
これに関して、映画の中でどうしてボンドルドがナナチの観たものを知っているかという解答がありませんでした。
でも何となく、これもゾアホリックでやってる気がするんですよね。
祈手でボンドルドと精神共有していても、自我がしっかりしている者、廃人みたいになった者、その中間と様々でした。
ナナチはこの中の、精神共有しているけど自我がしっかりしている者に当たるのでは?と思っています。
ただこの場合、ナナチが精神を共有されていることに気が付かないのはおかしな気がするので、このあたりは微妙かもしれません。
ただ現状これ以外に考察の余地がないですかね。
暴走レグから見るレグの正体について
さて伊瀬さんも見どころに挙げていた暴走レグのシーンです。
映画でレグが暴走しているシーンに、チラッとリコの母、ライザを彷彿とするような影が描かれていました。
暴走解除後にレグが「自分の中に幾つもの誰かがいて、その中の1人に支配されている感覚だった」的な発言をしていました。
レグとライザの関わりが深いのは今までのストーリーでも明らかですが、この発言を聞いて思ったのは、
・実はレグもライザとゾアホリックで精神共有している説
こんな感じです。
ライザと精神共有説をなぜ考え付いたかというと、ライザがアビスの底で何か重要なモノを見つけた→地上に伝えたいけど上昇負荷で上がれない→ゾアホリックとレグの存在を知っていたライザはレグと精神共有する→地上で娘の危機を守るも、ゾアホリックから離れすぎて記憶喪失→ゾアホリックに近づいたことによりボンドルド戦で一時精神復活
こんな感じのストーリーどうです?
そしてレグからライザ復活みたいな。
ただこの説だと、自分の中にいくつもの誰かがいた発言がクリア出来ていないのが難点です。
ボンドルドは本当に悪者なのか
今回の映画を観て思ったのが、このボンドルドは本当に悪者なのかということ。
人を殺めてますし倫理的には余裕で悪者ですが、彼はアビスの謎を解くうえでの貢献度は群を抜いているんですよね。やり方は本当に頂けないですが。
テレビシリーズでボンドルドの「愛ですよ、愛。」を聞いた時、どういうつもりで口にしているんだろうと思いましたが、今回の映画を見る限りではボンドルドは本当に愛の可能性を信じ、愛するということを実行していたと思います。
プルシュカを育てるボンドルドは、いつか利用するために愛することを演じていたのではなく、完全にプルシュカを愛していました。
ボンドルドは愛することが出来るうえで、その愛した対象までをも実験の糧にしてしまう。愛が倫理のストッパーになりえないからこその狂人なのだと思いました。
その意味でも根っからの極悪非道の悪者というよりも、精神異常者という認識の方があっているのでしょうね。
まとめ
さていろいろ考察してはみましたが、正直的外れも良いところかもしれません。
しかしそこも含めてこういう作品は追いかけていくのが楽しくて仕方ありませんね。
続編を観ていくことで今回の伏線、謎が解明されるのが楽しみです。
これからのアビスの展開、要チェックです!
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